創始者:中谷義雄博士の“ことば”
中谷義雄博士語録
《良導絡自律神経調整療法基礎編 2012年第7版改定版 発行:日本良導絡自律神経学会 学術部より引用》昭和25年(1950)4月2日、市丸という腎炎の女性患者から古典腎経絡に相似した電気の通りやすい部位の連なりを発見した中谷義雄博士は、その後研究に研究を重ねて「良導絡理論」を発展させる。
平成10年(2010)に良導絡生誕60周年を迎え、師の著書に記された良導絡療法、研究にかける情熱、成り立ちに至る経緯を師の<ことば>からビックァップさせて頂きました。良導絡が、何故、時代の、そして医療の必要性として生まれてきたのか、少しでも読み取って頂ければ幸いです。
「皮膚刺激療法―良導絡による:“発刊の目的”」
鍼灸という名を聞いただけで眉をひそめ、迷信と頭からきめつけて、けがらわしいものにでも触れるようにそっぽをむいてしまう人達がいる。鍼灸はそれほど白眼視すべき迷信的治療法であろうか。
皮膚の特定点に刺激を与えて、その刺激相応の疾患を治癒し、症候を軽減、消退せしめるのが鍼灸刺激療法である。
これはすなわち、皮膚に対する一種の刺激療法であり、その基礎理念としては、皮膚刺激生理の上に立つものであって、けして荒唐無稽の刺激効果を得ているものではなく、生理学に立脚した一種の皮膚刺激療法である。
・… <中略>・…
この著書によつて、鍼灸師の諸君は明日から東洋哲理的治療から、科学的治療へ進む因縁に連なるわけになる。
何となれば、良導絡療法は鍼灸に対する科学的裏付け研究から生まれた精髄の一つであるから。
また医師は、今後この新しい皮膚刺激療法を内科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科、婦人科、皮膚科、内臓外科、整形外科、精神科など、あらゆる臨床医学科目の新刺激療法に利用することができ、これによって、近代医学の治療成績を一層向上させることができるであろう。
独仏諸国の医人(近代医学習得者)が昨今鍼灸に注目しだしたのは主にこの理によるのである。
「良導絡の始めと研究の推移」
ところで、その当時良導絡とは言わずに良導帯と名づけたのであります。何故に帯と名づけたかといいますと、ヘッド氏帯に匹敵すると考えたからで、その後笹川教授によって良導絡の方が良いのではないかということになって、良導絡という名前に改められたのであります。… ・
<中略:中谷はこの結果を小論文にまとめ、出身校の岩手医専の三井解剖学教授に相談し、金沢の平松教授に紹介され、さらに同じ金沢の病理の石川太刀雄教授へと渡り、近い方が良いしこのような研究ならやはりと京大の笹川教授に紹介された)… ・
初めて笹川教授にお会いした時、着想が良いから、必ず面白いものができあがるだろう。頑張ってやりなさいと言われ、その後、陰、日向になり、かばつていただき、同教室独特の猛訓練を加えられて今日に至りました。その代わり叱られるのも一番でした。
私はこの7年間に、コツコツと幾度か泣くほどの努力と痩せるほどの思いとをもって良導絡の基礎から臨床までを進めてきました。根気と努力、それだけです。
「西洋医学と東洋医学」
最後に言いたいことは、鍼灸を科学化して再び医学の正座にもどしたい。漢方復興は流行であってはならない。
鍼灸がたとえ、治療の実際面だけでも西洋医学より優れているとは著者は考えていない。
西洋医学の最も不完全なところが、ちょうど鍼灸の分野であるということを強調したい。
すなわち東西両医学の歩みよりがより完全な医学への道である。
西洋医学も近頃ようやく全体医学的傾向を増してはきたが、東洋医学の長所に比べれば、本質的劣弱さをもっている。
西洋医学が男であり、東洋医学が女であるとするならば、女が嫁に行って一緒になるか、婿としてむかえるかしかしょうがない。
私はこの場合、鍼灸は女であり、嫁であり、嫁に行かねばなるまいと考えている。嫁入りのためには、むこうの気に入るように科学化されなければ夫婦相和すような幸福は得られないことだろう。
この『語録』は、中谷義雄博士の著書である「皮膚刺激療法一良導絡による」(昭和31年発行)と「良導絡自律神経調整療法」(昭和46年発行)から抜粋した。
60数余年前より中谷義雄博士は、最近でいう“統合医療”を目指していました。
また、上記「良導絡自律神経調整療法」の序文の最後には、“この本の内容を変えなければならなくなる日が一日でも速く来ることを願っています。”と締めくくられています。
良導絡理論は、中谷義雄博士が60数余年前に創始された治療法ですが、完成された治療法ではありません。
現:日本良導絡自律神経学会長 伊藤樹史先生(東京医科大学名誉教授 / 武蔵野病院院長)以下、学会本部では新しい良導絡理論を医科大学・研究機関のご協力を得て構築中です。
何千年の昔から自然界の現象と人の生命活動を対比しながら治療を実践してきた東洋医学ですが、現代に生きる我々は、すべての事柄に科学の恩恵を受けています。
当学会は、先人が残した東洋医学の知恵を尊重しながら、現代人でも満足・納得のいく科学的な良導絡理論を研究していく学術団体です。
中谷義雄履歴
大正12年(1923)8月 | 大阪市西成区に生まれる。 |
昭和16年(1941) | 大阪浪速中学校卒業。 |
昭和19年(1944) | 岩手医専在学中、風邪を確実に治せる医者を目指す。西洋医学的文献が無く、挫折しかけるが傷寒論に出会い東洋医学に目覚める。現代医学で解明されていない「経絡」というものがあることを知り、興味を抱く。 |
昭和20年(1945)同年 | 岩手医学専門学校卒業。医師免許収得。 |
昭和21年(1946) | 和歌山県高野口で中谷医院を開業。 |
昭和22年(1947) | 大阪市西成区へ移転。 |
昭和23年(1948) | 「刺激療法」の研究開始。 |
昭和25年(1950)4月 | 良導絡を発見、良導絡の基礎的研究を始める。 |
昭和26年(1951)1月 | 京都大学化学研究所入室。 |
昭和29年(1954)4月同年 | 京都大学生理学教室入室。京大鍼灸懇話会設立。幹事100回務める。 |
昭和30年(1955) | 良導帯から良導絡の名称になる。「良導点」・「反応良導点」命名。 |
昭和31年(1956)10月 | 「皮膚刺激療法」発刊。 |
昭和32年(1957)7月 | 学位授与。「皮膚通電抵抗と良導絡」指導 笹川久吾教授。 |
昭和33年(1958)4月 | 関西鍼灸柔整専門学校生理学講師就任。(昭和47年退職) |
昭和35年(1960)4月 | 火曜研究会開催:学生対象で良導絡の研究。 |
昭和37年(1962)7月 | 月刊『良導絡』発刊。 |
昭和41年(1966)10月11月 | 大阪医科大学麻酔科ペインクリニック(東洋医学担当)非常勤講師就任。聖ジョン騎士団ナイト勲章が授与される。 |
昭和43年(1968)11月 | 日本良導絡自律神経学会副会長。日本鍼灸良導絡医学会名誉会長。 |
昭和47年(1972)3月4月 | 大阪:梅田にて開業。駅前第一ビル2F「中谷義雄の診療所」。良導絡医療ジャーナル主幹に就任。 |
昭和51年(1976)9月 | 日本良導絡自律神経学会改組に伴い「会頭」に就任。 |
昭和53年(1978)4月 | 膀脱腫瘍でご逝去(大阪・北野病院にて 54歳)。 |